賽の河原

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俗に三途川の名の由来は、初期には

「渡河方法に三種類あったため」

であるともいわれる。

これは善人は金銀七宝で作られた橋を渡り、軽い罪人は山水瀬と呼ばれる浅瀬を渡り、重い罪人は強深瀬あるいは江深淵と呼ばれる難所を渡る、とされていた。

しかしながら、平安時代の末期に、

「橋を渡る(場合がある)」

という考え方が消え、その後は全員が渡舟によって渡河するという考え方に変形する。

渡船の料金は六文と定められており、仏教様式の葬儀の際には六文銭を持たせるという習俗が以来ずっと続いており、現在では「文」という貨幣単位がないことや火葬における副葬品制限が強まっていることから、紙に印刷した六文銭(→冥銭)が使われることが多いようである。

また、三途川には十王の配下に位置づけられる懸衣翁・奪衣婆という老夫婦の係員がおり、六文銭を持たない死者が来た場合に渡し賃のかわりに衣類を剥ぎ取ることになっていた。

この二人の係員のうち奪衣婆は江戸時代末期に民衆信仰の対象としてブームとなった。

三途川の河原は「賽の河原」と呼ばれる。

賽の河原は、親に先立って死亡した子供がその親不孝の報いで苦を受ける場とされる。

そのような子供たちが賽の河原で、親の供養のために積み石(ケアン)による塔を完成させると供養になると言うが、完成する前に鬼が来て塔を破壊し、再度や再々度塔を築いてもその繰り返しになってしまうという俗信がある。

このことから「賽の河原」の語は、

「報われない努力」「徒労」の意でも使用される。

しかしその子供たちは、最終的には地蔵菩薩によって救済されるとされる。

ただし、いずれにしても民間信仰による俗信であり、仏教とは本来関係がない。

賽の河原は、京都の鴨川と桂川の合流する地点にある佐比の河原に由来し、地蔵の小仏や小石塔が立てられた庶民葬送が行われた場所を起源とする説もあるが、仏教の地蔵信仰と民俗的な道祖神である賽(さえ)の神が習合したものであるというのが通説である。



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